小林光コラム-小林光のエコ買いな?

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第2回 2012年5月25日 エコな物は高くて当然――環境コスト、タダ乗り思想から脱却を

 世界の資源、財物は、価格をシグナルにして、それを欲しい人の間に、欲しい程度に応じて配分され、最も有効に活用される、ことになっている。

 価格が実際にどう付けられているかを見ると、簡単には次のとおりだろう。すなわち、実際の製造や販売に当たる事業者の、事業者ごとの製造原価に、マージンが載せられて市場に出され、他の販売者などとの競争が生まれ、高すぎる値付けの物は売れ残ったり、市場から撤退したりして、需給が一致する水準と価格とが決まっていく。

 経済学の教えでは、価格が、こうした財貨のそれぞれの真の希少性を反映している時に、財貨は、最も効率的に利用されるように社会成員間に配分される。したがって、価格付けが正しいのであれば、財貨の配分については市場を邪魔せず、そこに任せておくのが最善手となる。このため、主流の経済政策では、市場競争強化ということが万能の処方箋となる。市場競争の結果、仮に価格が下がれば、需給が均衡する水準も高まり、経済的な福祉はそれだけ向上することも期待できる。

 しかし、重要な例外がある。財貨が環境に悪影響を及ぼしているような場合である。環境に悪影響を及ぼしても、環境は文句を言う訳ではなく、損害を賠償する必要もなく、その分、その財貨は、安く販売され、余分な需要を生んでしまう。環境との係わりには限らないが、一般に、私人が負担せずに、社会一般に負担させてしまう費用(社会的費用)が発生していると、市場は、財貨を正しく配分できなくなる。

 教科書には必ず書いてあった、こうしたことを、実在のこととして衝撃的な形で私たちに体験させたのが、昨年の原子力発電所の水素爆発と放射能汚染である。

現実となった「社会的費用」

 内閣府のエネルギー・環境会議の下に設けられたコスト等検証委員会は、昨年12月に報告書を発表した。それによると、原子力発電による電力1kWh当たりのコストに関する2004年の試算が5.9円であったのが、今回の検証では、少なくとも5割以上のコストアップ(最低でも8.9円/kWh)が計算された。社会的費用に係わるものでは、安全対策の追加に伴うものが、0.2円/kWh、この報告書公表までの間に分かったものに限った災害の補てん費用が0.5円/kWh(今後に判明する損害額が1兆円増えるごとにコストは0.1円/kWh上乗せ)であって、これらだけでも、すなわち、被害が確定していない現時点での計算ですら、コストは、1割近くも過少に評価されていたことになる。

 実は、過小に評価されてきたのは、原子力起源の電力だけではない。同じ報告によると、04年の試算では5.7円/kWhであった石炭火力のコストも、温室効果ガスの二酸化炭素への対策を含んでいなかったことなどに関して見直され、その分だけでも、2.5円(0.4年試算比で4割以上の過小評価)の上乗せが必要とされた(コスト全体では、2010年時点で平均9.6円/kWh、2030年時点で同じく10.5円程度)。

 私達は、長い間、こうしたコストを、環境に押し付けることにより存在しないものとみなし、余分に電力を消費してしまったことになる(ちなみに、同報告書では、省エネをすることによるコストも計算しており、平均的な電力コストを下回るコスト負担で実施できる省エネのオプションが数多いことも示している)。後智慧であり、私のような行政官であった者には強い反省もあるが、もっと高い値段で電力を買って、自分たちももっと省エネし、他方では、十分な安全対策や環境対策を、電力会社にしてもらっていなければならなかったのである。

 安い物が必ずしも良い物ではない、という実体験が、私達の経済観念を大きく揺さぶっている。財・サービスの価格は、私達を望ましい世界に必ず導いてくれるように付けられてはいないのである。

 今回のコスト等検証委員会の報告書についても、改めて読んでみると、なお、コストが過小評価されているのではないかな、と思う箇所もある。

 それは、例えば、割引率の問題である。標準的なケースでは、割引率は、3%と置かれているが、これは、将来に発生する費用を今の時点で評価する場合には年率3%の計算で安く扱う、ということである。こうすることによって、原子力にせよ、火力発電にせよ、電力を作るためには常にエネルギーを購入し続けなければならない電源では、40年にもわたると仮定されている長い設備寿命の間払い続けるエネルギーコストが、実際に支払う額よりも、現時点での計算上では、安く見積もられることになる。また原発の場合にはさらに長期を要する放射性廃棄物に関わる費用も大きく割り引かれる。原子力発電で、割引率を0%とした場合と3%とした場合とでは、0%の場合は、さらに、0.8円/kWh高くなる(すなわち、災害コストが今計算されているもので打ち止め、とした最低の場合のコストである8.9円/kWhが9.7円/kWhとなる)ことが同報告書には示されている。

 他方で、太陽光発電のコスト計算を見てみると、その内訳は、当然ながら、ランニングコストはほとんど含まれない。同報告書によると、2010年建設のメガソーラーの場合では、稼働が20年間とする1kWh当たりの資本費用が21円強とされている。さらに、この資本費用は、2030年頃になると量産効果や技術進歩のお蔭で、パネル自体の価格も下がるほか、稼働年数も35年を見込めるとして、最も安い推計では、6.5円が示されている(このほかに運転維持のための経常費が1kWh当たり5円程度掛かるものと推計され、発電コスト全体では、12.1円/kWhと試算)。

 要約すれば、今は計算に入っていない放射能汚染の除染費用、放射能汚染物の中間貯蔵や最終処分などなどに係わる費用が仮に25兆円を超えるとすれば、将来の割引を見込まない燃料費や廃棄物処理費用込みの1kWh当たりの原子力発電コストは、2030年頃に推計される太陽光発電コストよりも高くなってしまう可能性がある、ということになる(太陽光の2030年までの技術進歩を考え、他方で燃料費の将来割引計算を止めれば、原価に占める燃料費割合の高い石炭火力も、太陽光に劣後する結果になろう)。

非経済的な判断も加味

 もちろん、これは単純な推計であって、太陽光発電が増えれば、それを受け入れる系統電力側で余分な対策が掛かる、とか、太陽光発電はお天道様次第で、発電量の信頼性が乏しい、とかの批判はあり得る。他方で、環境派からは、この委員会でコスト試算に用いた温暖化対策の社会的費用は、二酸化炭素1トン当たり3400円程度と、随分と安いではないか、との反論もある。

 大雑把に言えば、1kWh 当たり数円の幅に、様々な電源の電力コストは収まっていようが、私は、こうした様々なコストをもっともっときちんと計算して、少しでも安い電源を選べ、と言いたいのではない。

 そもそも、太陽光発電や石炭火力発電、原子力発電は、違うものである。産み出す電力だけを見ればkWhで測れる同じエネルギーではあるが、その製造段階で環境や安全に与える影響は全く異なる。そうした違いに応じつつ環境保全や安全確保に要するコストを十分精確に計算することは到底できない。さらに重要なことは、コストが分かっても実際にそれが電力会社に負担されたり、価格に上乗せされたりするかどうかも不明であることを踏まえると、様々な電力を、社会的費用も含めて経済的な価値に換算するだけでは望ましい世界に到達することはないと割り切り、「安全な電力、地球の生態系を壊さない電力を、どれだけ生産し、活用するかを非経済的な判断も加味して決めることが必要ではないか」と私は思う。安全や地球との調和共生のために必要な費用は負担する、と判断することである。

 もう一つ付け加えたい。それは、エネルギーの安全保障への対応である。ウランや石炭などが今後も十分な量を安価に買えるのか? 大きな心配である。新興国などの経済発展、世界人口の増加を考えると、枯渇性のエネルギー資源はますます不足し、高騰していくことは明らかである。

 太陽光発電では、製造時に投入したエネルギーを2~3年で稼ぎ出し、燃料投入なしに、エネルギーを生産し続ける(ちなみに、わが家の太陽光発装置も、この12年間、事実上メンテナンスフリーで電気を生産している)。このような機能を持つ太陽光などの再生可能エネルギーは国産資源であり、その利用を拡大していくことは、エネルギーの新たな安全保障になる。

 エネルギーは経済の観点だけから見れば単なる手段であって、安い方がよい。けれども、人々の健康・安全や環境、そして安全保障の目的に照らせば、安いエネルギーが良いとは全然限らない。むしろ、経済以外の目的の実現のためには、そのための費用を投じないとならない以上、環境に良いエネルギーは、高くて当然なのである。

図


上の図は、200万円程度の出費を要する低燃費自動車と、太陽光発電パネルを経済面で比較したものである。10年間といった期間を考えると、その累積コストの違いは明らかで、太陽光パネルの方が圧倒的に安い。しかし私達は、太陽光パネルの購入を逡巡している。これは、移動のためのコスト負担には慣れているものの、電力の価値については、単なるエネルギー量としての価値しか見ず、環境を守るための費用負担には不慣れで、それが特に初期段階で目に触れると、途端に高いと反応してしまうからだ。対策不足であった東電だけが責められているのではない。私たちにも、環境的な財貨は高くて当然と思うどころか、「環境費用はタダで済ませられれば済ませたい」というマインドセットがある。この思い込みからの脱却に私たちも今まさに迫られているのである。
次回は、一歩進めて、環境に良い財貨が高い価格であって困ることがあるのかないのか、考えてみたい。

(2012年5月25日)