小林光コラム-小林光のエコ買いな?

公益財団法人日本経済研究センターのサイトに連載中のコラム「小林光のエコ買いな?」を、許可を得て転載しています。
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第14回 2013年5月23日 米国が国際舞台で本気を出してきた――オバマ政権の環境・エネルギー政策の強化

思い出す昔のこと――フロン規制で米は豹変

 最近のオバマ政権の省エネへの力の入れ方、あらゆるエネルギー源にウィングを広げたエネルギー供給対策の強力な展開を聞くにつけ、筆者には昔の記憶がよみがえる。フロンの生産量削減に舵を切ったモントリオール議定書の採択の顛末である。

 モントリオール議定書(1987年に採択)の交渉妥結は、その交渉中に南極オゾン層の破壊が初めて明らかになり、世界の世論に火が点いたことも要因であったが、さらに重要な要因は、米ダウ・ケミカルが、フロンの代替物質を開発したことにあった。従来型のフロンが製造できなくなると、代替フロンが売れるのである。米国は、国際競争力上の憂いなく、むしろ競争上有利な形でオゾン層保護対策を進められる立場を得たのである。

 それまでフロン製造設備の新設の自主規制などでお茶を濁していた米国が、突如、クルセーダー(十字軍)のように日本などへ対策実施の折伏に回り、態度を豹変させたことを、昨日のことのように思い出す。今の米国が、オゾン層交渉の時のこうした米国の変わり身の速い姿と二重映しになってならない。

 国際社会で実効あるルールを作ろうとしたら、米国に入ってもらう必要が極めて高い。米国抜き(最近では中国抜きでも)の国際ルールは脆弱性を持たざるを得ない。しかし、仮に米国が国際ルールに入ってくるなら、当然ながら、一等室、あるいは運転席に座る、すなわち米国が主導するのである。国際ルールの、残念ながら伴食者の日本は、このことを肝に銘じておかないとならない。ポスト京都の国際的地球温暖化対策ルールに米国が入れば、それは米国の利益をも実現し得るルールなのである。その意味で、米国がいなかった、1997年から2012年までのこの15年間を、国際ルールづくりへのヘゲモニー取りに日本が積極的に取り組まずに、京都議定書は不平等条約だといった後ろ向きのことばかりを考えてボーッと過ごしたことは残念でならない。日本が後ろを見たいと言っていても、世界は前に進んでしまうのである。

ポスト京都準備会合で途上国巻き込みの米国戦略

 済んだことを悔やんでも仕方ない。今のことを考えよう。

 4月末から5月初めにドイツのボンで、ダーバンプラットホーム・アドホックグループ(2020年以降の温暖化防止の国際ルールを話し合う場)の会合が開かれ、2015年に国際合意に達すべき、地球温暖化防止の新国際ルールの在り方に関して各国が意見を述べた。ここでは、京都議定書には上院の賛同が得られず入らないままに終わった米国が、2015年に向けては熱心に論陣を張ったと聞く。

 会合に先立って3月11日付でアドホックグループへ提出した米国のステートメントに依れば「各国がそれぞれ自主的に、野心度の高い国内削減策を、極力透明性を心掛けて提案し、国際社会、あるいは各国の国民が互いにレビューする」。その結果を踏まえて、締約国は当初の削減提案を見直すこと、その後の対策もこのようなレビュープロセスを通じて一層適切な国内目標や対策へとステップアップしていくといった仕組みを、その名称にこだわらずに、提唱している。

 論者は、この提案を聞くと、1991年頃、気候変動枠組条約の交渉が最終局面を迎えた時点を思い出す。この条約は、先進国、途上国を問わない共通の義務のほか、先進国が果たすべき一層厳しい削減義務を定めるものであったが、その先進国の義務を果たしてどのように規定するかが交渉上の大きな争点になった。90年レベル排出量への削減をはっきり規定することを求める欧州とそれに反対する米日などの構図の中で、妥協案を出して事態を収めたのは米国の当時の大統領、パパ・ブッシュ大統領であった。90年に排出量を戻すとの意図の下で、義務としては「排出量の抑制や削減に関する計画を策定し、その実施状況を国際的にレビューしていく」という内容であった。京都議定書以前の先進国の第一歩目の具体的な義務になった。今回議論になっている途上国の第一歩目の具体的義務も、多かれ少なかれ、こうしたラインでしかあり得ないであろう。2020年以降の温暖化対策ルールに途上国を巻き込む戦略の第一歩だと思う

 条約や附属書などの文言を巡る交渉には紆余曲折がなおあろうが、92年の枠組み条約が先進国の経済、技術、暮らしに与えたようなインパクトが、2015年の今度は、全世界に生じることになるであろうことは間違いない。

環境軸にエネルギー・製造業の強化へ3兆円

 オバマ大統領は、去る4月10日、2014年度の予算教書を発表した。

 エネルギー・環境政策では、オバマ版三本の矢が登場している。エネルギー・環境政策に関する包括的な方針を定める「All-of-the-above戦略」、エネルギー消費半減を達成する「Race to the Top for Energy efficiency」といった具体的な政策、クリーンエネルギー供給に特化した事業パッケージであるクリーンエネルギー製造イニシアチブ(CEMI)の3つである。クリーンエネルギー分野、先端製造分野で米国をして、世界のトップリーダーとして国際社会の中で行動できる地位獲得を目指している。実施に要する14年度予算の総額としては、日本円にして約3兆円規模と考えればよいだろう。本稿冒頭に述べたように、米国が省エネに本腰を入れ、クリーンエネルギーの供給増強にも(例えば、クリーンエネルギーによる発電量の倍増)具体的な目標を掲げて挑むことになる。発電分野だけ考えれば、エネルギー消費の半減と電力炭素密度の半減は、合わせて見れば、電力起源CO2の70~80%削減を視野に入れるものとなる。米国で相次ぐ気候災害、そしてシェールガス利用(天然ガスは化石燃料で最もCO2や大気汚染物質の排出量が少ない)の拡大を背景に、米国はいよいよ本気を出してきたな、と感じる。

 特に関心を寄せざるを得ないのは、こうした政策が、有望な投資先の開拓として強く意識して行われること、単に供給側の能力向上だけでなく、自動車、住宅、ビジネス(製造のイノベーション)といった需要側の取組みを多く含んでいることである。

 「エコ買いな」と題する本シリーズコラムは、環境性能の高い製品やサービスが生む高い環境価値がきちんと市場で評価されるようになることを狙いとしている。環境価値がある物が、環境を壊す物と同じ価格でしか市場で評価されないのでは、環境で儲かる世の中はやってこない。他方、環境価値が付加価値を生むなら、GDPも増える。したがって、鍵は需要側にある。

 米国における需給両面を視野に入れた、力強い政策イニシアチブは、世の中を偶力でもって回転させ、オゾン層保護の時のフロン代替品の発明のような黒船を生む可能性は高いと見た方が安全である。エネルギー浪費大国・米国という思い込みは、だいぶ改まっている。図に見るように、GDP当たりのCO2排出量という指標(炭素生産性)では、日本に進歩がないのが一因ではあるが、1990年頃は、米国の指標は日本の倍近くあったものが、今はせいぜい5割増し程度に急減少している。米国は侮れない。

図


安価なエネルギー追求だけでは知恵不足――安倍ドクトリンの環境分野へ適用期待

では、日本はどうだろう。

近頃、石炭火力発電所の新増設に関する環境アセスメントのスピードアップによる開設促進策が発表された。風力発電所の環境アセスメントに関しても同様の措置が行われたとはいえ、日本のエネルギー政策とは「環境を軽視し、専ら低価格の供給実現に注力している」と言われても反論は難しかろう。今世界が目指しているのは、環境性能の良いものが高い付加価値を生むような仕組みづくりだが、日本は、ひたすら安い物の製造を目指している。これでは「黒船を迎え撃つに、お台場を築く」という幕末の愚を再現しているようなものではなかろうか。

みすみす国際競争から脱落する以外の展望は果たしてないのだろうか。

5月13日に、安倍晋三首相は、経済成長戦略の第2弾を発表した。論者としては、そこには若干の希望を見出した。それは、同首相が「国際競争は避けられず、世界に打って出るしかない」と述べ、「望ましい社会の在り方を構想し、それが世界にも望まれるものなら、新しい需要が生まれ、そして産業が育つ」という発想を披露している。論者が主張したいのもまさにそのことである。理性がある人には先刻分かっていることであるが、環境保全には世界の大きなニーズがあり、すなわち大きなビジネスチャンスが控えている。この安倍ドクトリンを、環境分野にこそ当てはめようではないか。2015年に黒船がやってくる前に。

(2013年5月23日)