小林光コラム-小林光のエコ買いな?

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第37回 2017年8月8日 東京五輪、約束した環境取り組みをきちんと実行を
―国民・企業が率先参加・貢献できる仕組みが必要

 都議会選挙において小池百合子都知事派の政党や議員が過半数を占めた。就任9カ月の采配を踏まえ、小池知事の東京統治が信任されたものと言えよう。圧勝とも言える支持を受けて、小池知事は自信をもって施策を進めていくことになろう。議員の改選後には、早速、通勤ラッシュを緩和する時差ビズが始まった。

 論者が小池知事のリーダーシップに特に期待し、進展を望むのは、知事選の時の公約の一つ、エコシティづくりである。

 立候補時の小池さんは、無所属、というか全政党を敵にして立った候補者であった。論者のように長年公務員をやっていた者では、不偏不党が習い性となり、どこか特定の政党への肩入れは本能的に避けるようになる。当時の小池候補への応援はどこの政党への肩入れも意味しないのが明らかであったので、私も生まれて初めての応援演説を、街宣車の屋根の上で行ってみた。まだ応援弁士が少ない第一週に五カ所くらいで、小池候補の演説の前座をした。私はお仕えした環境相時代の実績であるクールビズやエコハウスのことも取り上げたが、もし知事に就任したら是非進めていただきたい政策として、東京五輪での環境への取り組みを挙げた小池候補の貢献への期待を強調した。なぜか。

 すなわち、五輪の誘致に当たり、日本は多くの約束をし、その中には優れた環境取り組みが数多く盛り込まれていたにもかかわらず、具体化させる道筋が、知事選当時は全然見えていなかったためである。知事選前には、競技施設のデザインや建設費用、そしてロゴマークの選定などに衆目が集まり、環境取り組みは無視されているのに等しかった。

招致ファイルでの国際約束、を知っていますか?

 五輪招致に当たって、日本が、現金の忘れ物ですら持ち主に戻ってくる安全な国であること、「おもてなし」に力を入れるホスピタリティに富む国であることなどを訴えたことはよく知られている。しかし、日本開催が国際的に好意をもって迎えられるに至った背景に、環境取り組みに関するアピールが奏功したことがあったことも忘れられてはならない。どういうわけか、国内では、大会招致に当たっての日本の方針を書き込んだ、いわゆる「招致ファイル」は積極的に国民間で共有されていないが、その中に書き込まれた環境上の約束には、例えば、史上初のカーボンマイナス(CO2排出量の純減)の大会を行うこと、使用したものは再利用やリサイクルされ、ごみはまったく出さないこと、観客はすべてスタジアムに公共交通機関で来ること、競技会場と都心とは緑で結ぶこと、など多くのことが謳われている。すばらしいことばかりであり、日経新聞17年6月6日朝刊「私見卓見」掲載の小宮山宏・元東大総長の意見のとおり、日本の世界への貢献として後世に残るもの、すなわちレガシー(遺産)になるものばかりである。

環境取り組みの大幅遅延はなぜか?

 それでは、世界へ提案したこれらの環境取り組みは実現するのだろうか。五輪は、商業主義に堕して、主催国の国民の支持を失う事態になった歴史を持つ。そこで、五輪開催の社会的な意義が大いに強調されるようになった。1992年のリレハンメル大会を契機に、IOC(国際オリンピック委員会)100周年会議で「環境をスポーツや文化と並ぶ第三の要素」とすることを誓い、併せて96年に「オリンピック憲章」が改正され、地球環境保全に役割を果たすことは、スポーツを通じた諸民族の平和の実現、青少年の教育と並ぶ、五輪開催の意義の三本柱の一つに据えられるようになり、それを実現するため国際組織委員会の役割規定も整備された。したがって、日本が、今回のオリパラを通じてきちんとした環境取り組みを具体化させるのは、五輪を開催する目的であり、提案し開催国に選ばれることで約束した事柄を果たすことは義務とも言えよう。逆に言えば、仮に実現できなかった場合は、五輪の意義を棄損した汚名を着ることになる。

 こうした中、都知事選前では、既に述べたように、五輪の準備と言えば、競技場のデザインや予算の増高の是非の議論、ロゴマークの剽窃疑惑などへの対処、といった、基礎の基礎ともいうべき事項の処理に終始し、大会のレガシーとなるべき建設的な側面は忘却されていた。

 登場した小池知事も、すぐにはレガシーづくりに取り組めなかった。五輪選手村への道路が通り、プレスセンターが立地するはずの築地市場の移転先となる豊洲の市場用地に残存する土壌汚染に悪戦苦闘することになったのである。負のレガシーとも言うべきで、都の意思決定の中で、土壌汚染対策の内容の決定プロセスや結果の確認の仕組みが説明可能な形ではできていなかった(あるいは、そう言わざるを得ない、もっと意図的なものであった?)という情けない事態があからさまになった。さらに小池知事は、都外で実施する競技のための施設の整備費などをどうするかの調整事務も、国が傍観者のままで、担わされることとなった。今回の五輪は、1964年の前回が国全体の行事と認識されていたことと異なり、「お金持ち東京」が行う五輪という整理なのである。これらの課題に慎重に対応していた小池知事は、かえって、「決められない知事」という選挙キャンペーンの標的になった。地方選挙にからめて、国政の政権政党から、開催都市知事への攻撃キャンペーンがなされるという、一致団結の日本には程遠い事態が生じたが、これまた見苦しい話である。

 こうした政治利用が五輪の環境取り組みの遅れの要因の一つであるが、この政局化した状況は、冒頭に述べた都議会選挙が終わったことで解消されよう。民意を明らかにする機会を了した以上、五輪を人質にとる戦術は意味がなくなるからである。しかし、五輪準備の政局化以外にもっと大きな障害があると、論者は思っている。それは、競技の実施自体とそれに伴い発生する費用を負担しなければならないオリンピック組織委員会の予算不足であり、その背後にあるパートナー・スポンサー制度の抱える問題である。

目的達成の必要な資金確保には新らたな知恵を

 組織委員会や国際オリンピック委員会は、五輪競技の放映権、大会会場の物販権や五輪マークの使用権を、簡単に言えば、「販売・貸出」で収入を得て、競技の実施やこれに付帯する仕事の費用を支弁している。五輪マークを使えるパートナー企業は、いわばスポンサーであって、巨額の資金を負担し、マークの使用を許される仕組みだが、単にお金だけの負担でなく、実物やサービスの独占供給権も手にする。パートナー企業から組織委員会への納入には、もちろん、対価が支払われる。独占価格として割高になってはいけないというタガがはめられているのは当然だが、スポンサーには、収入面そして広告面の報いがある仕組みである。この仕組みによって、それなりの額のお金が集まり、開催国や開催都市の公的な負担は圧縮されるのである(国や都は、例えば、大会後も残る恒久施設の建設に専念できる。)。このような仕掛けが編み出されたのは、1984年のロサンゼルス大会からであると聞く。

 一見よさそうな仕掛けだが、この仕掛けは万能ではない。東京五輪の準備過程でほころびが露わになっている。

 一例として、既に仕組みが明らかになった、金、銀、銅のメダルの作成費の支弁を見てみよう。このメダルは、当然、開催国の組織委員会が作成するものだ。当初、我が組織委員会はヴァージン資源の寄付によってメダルを作成しようと考えていたのではないかと想像されるが、前述の小宮山氏が委員長を務める五輪の環境ご意見番「まちづくり持続可能性委員会」が、日本ならではの環境取り組みとしてリサイクル金属でもってメダルを作ることが相当だ、とした。その意見が活かされ、メダル用の金属収集・加工のプロセスが改善されることとなった。これはとても良いことであるが、組織委員会にはもとよりリサイクル金属を購入する予算はなかった。予算はともかく、物としての金属は、金属リサイクル企業が多数参加する小型家電リサイクルの仕組みを活用して、集められることとなった。

 けれども、予算はない以上、この取り組みを担う企業には対価が組織委員会から支払われることはない。五輪スポンサーとなるパートナー企業ではないから、持ち出しとなった費用を対外的に五輪のために寄付したとも公言できないのである。企業の立場から、少し大げさにわかりやすく言えば、使途不明金として税務署に課税されても仕方のない支出に迫られたのである。そして、企業がそうして泣かされる額は、数億円とも噂されている(以上は、論者の理解の範囲で、簡潔に表現したので、誤解を呼ぶ表現があるかもしれないが、お許しいただきたい。さらに詳しくいえば、この取り組みに参加する一部企業は、属する企業グループが、別サービスを理由としたものであれ、既にパートナーであったたため、五輪への貢献に言及できるという不公平すら生んでいる)。

 このような仕組みでは、五輪を広告材料にして儲けることができず、スポンサーがつかない事業は、五輪の組織委員会が何らかの形で資金を集めて予算化しない限り、実施不可能になる。

 そうした種類の取り組みに、五輪開催の3本柱の一つ環境取り組みの多くが属していることはまちがいない。それが証拠に、どのようにして再生可能エネルギー起源の電力などを供給してカーボンマイナスの大会を実現するか、具体策は明らかにされていないし、ごみを出さない大会を実現するためにリユーズ(再利用)やリサイクル(再資源)をどう進めるのかの方策も明らかにされていない。

 日本には十分な技術がある以上、これらの環境取り組みに対価を支払える予算があれば簡単に実現できる。東京大会の環境側面のうちの最も重要な分野について、いまだに取り組み方針が決まらないのは「お金が準備されていない」との疑いを呼ぶに十分な事態だ。ちなみに、ロンドン大会の場合には、環境取り組みの詳細内容と明確な目的が最初に明らかにされたのは、東京大会で言えば2015年12月に当たる、大会開会4年7カ月前であった。東京では、この程度の詳細さで取り組み内容が明らかにされるのは、2018年3月頃と言われており、大会のわずか2年4カ月前なのである。

 総括しよう。大切な環境取り組みの公約を果たすには、今の組織委員会の財政の仕組み、その背景にあるパートナー制度は十分な機能を有していないのである。新たな知恵が必要なのだ。

「2020グリーン都市ファンド」で環境レガシーを

 お金不足という理由で、東京大会が、五輪目的の達成を棄損する大会となったのでは、都民、国民も悔しいし、既に多額の資金貢献をしているパートナー企業も善意を仇で返されるようで不本意千万であろう。では、どうしたらよいのであろうか?

 私や、元東京都環境局長の大野輝之氏、さらに、小池知事の環境相時代の女性活用策から発足してCSV(共通価値の創造)活動を進めている女性経営者の組織である「サスティナブル・ビジネスウィメン」が主催者となって、既に複数回、問題点を共有し、ロンドンやリオなどの知恵に学び、可能な取り組みを検討する公開の会議を開いている。小池知事や小宮山委員長、組織委員会職員にも臨席いただき、集まった衆知を、なるべく早く現場に活かせるような仕掛けもしている。似たような取り組みは、代表的なNGOが集まる場(SUSPON)でも行われていると聞く。こうした中で、だんだん見えてきた方向は以下のようなものだと思う。

 すなわち、一つは全般的な仕掛けである。これは、(マーク使用権などの)五輪とのリンクはないまでも、「2020グリーン都市ファンド」(もちろん、仮称)といった、資金源を設け、ここに対する出捐は寄付金控除の対象にし、他方で、この資金は、組織委員会あるいは東京都、その他の団体が行う五輪関係の環境対策、例えばごみゼロ対策や緑化のような一般的な対策に支出できる、との仕掛けを設けることが考えられる。もっと強い構成では、五輪との関係を明示し、ただし、極めて高額の貢献をし、それゆえ強い権利を持つ通常のパートナーとは区別できるように、このファンドへの貢献者は、例えば、「サステナブル五輪パートナー」という名称のみ表示できることとすることも考えられよう。いずれにせよ、折角の好意・善意を、使途不明金のような日陰に置くことのない仕組みが必要である。

 第二に、カーボンマイナスといった専門的な知恵を要する取り組みを行うための専門特化した仕組みである。競技会運営そのものに消費される電力は、当然、再生可能エネルギー起源の電力を最優先で当てるべきであろう(以下では、生自然電力と略称する)。その購入には、エネルギー分野のサポーターが供給するにせよ、他から供給を受けるにせよ、費用が要るし、生自然電力は価格が高い。特にFIT(固定価格買取制度)との競争になるので、高いことは避けられない。その追加部分の予算は、前述の資金ファンドから賄うことがふさわしいだろう。長期の電力購入契約に縛られる会場で競技をする場合もあろう。そうした場合は、その電力を供給する会社に、競技運営相当分の生自然電力を補填供給する必要があろうが、その費用も、ファンドが支弁すべきであろう。さらに、大会運営に直接には付随しないが、大会に間接的に付随して発生するCO2、例えば、観衆の移動に伴うものなども膨大であろう。これにはいちいち生自然電力を供給はできないので、新エネ証書とか、あるいは日本内外での二酸化炭素削減のための様々な創意工夫ある取り組みから発生する削減クレジット、といったものが充てられて、相殺されることになろう。そうなると、前述のファンドには、証書やクレジットといった形での寄付もできるように構成する必要がでてこよう。

 以上は、誰が考えても思いつくようなもので、特別な知恵ではないが、喜んで国民や企業が環境レガシーづくりのために資金を投じることになる、何らかの新しい仕掛けが要ることは間違いない。2020年への知恵の出し方こそが、長期的に地球温暖化防止と成長を両立させる第一歩にもつながる。

 日本は、資金余剰の状態にある。お金を良い目的のために使うのはよいことだ。やるべき良いこともはっきりわかっている。しかし、旧弊を乗り越える知恵と意欲はない。知恵や意欲がなかったばかりにお金が使えないのでは情けない話と言うほかない。