小林光コラム-小林光のエコ買いな?

公益財団法人日本経済研究センターのサイトに連載中のコラム「小林光のエコ買いな?」を、許可を得て転載しています。
本サイトからの無断転載を固く禁止いたします。

第44回 2021年12月23日 脱炭素経済、実現競争に経営者の能力が問われる

 英国・グラスゴーで2021年11月上旬に開催された気候変動枠組み条約第26回会合(COP26)は「グラスゴー合意」(COP決定)を採択した。温暖化防止に熱心な欧米先進国と比べてコミットメントが弱い中国、ロシア、インドなど新興国、途上国との間の分断を取り上げたり、分断の象徴として石炭火力発電所からの撤退に向けた姿勢の各国の違いを批判したりする報道が多かった。けれども私は、議長国・英国が現時点で世界が合意できる行動内容を精いっぱい前向きにまとめることができた、と高く評価している。いよいよ対策の社会実装が始まる。日本にとっての課題は何だろうか。

1.5℃目標実現、対策で国際合意が数多く

 COP26について私が評価することは2つである。

 一つは、途上国の主張にも留意し、国境を超える温暖化ガス削減のクレジット取引のルール(先進国が途上国の削減に協力した際に、削減分の配分をどのようにするかということに関するルール)を合意できたことである。環境保全の十全性だけを追い求め、途上国のやる気を削ぐのは、「途上国は環境が守れなければ発展しなくてよい」とでもいう先進国エリートの傲慢だ。これでは先進国の産業上の既得権を擁護する人々の走狗に等しい。途上国にもビジネスのチャンスを与えよう。

 第二に評価することは、1.5℃目標への自主的な賛同を増やしただけでなく、実現に向けた対策上の裏打に関する国際合意を数多く紡ぎ出したことである。

 自分の経験を振り返ってみると、京都議定書の交渉時にも、「ダブル・バインディング・アプローチ」という発想が浮上したことを思いだす。目標も、その実現のための国際共通対策も、共に法的拘束力のあるものとして約束に盛り込もうとするものである。しかし京都議定書の場合は、目標は強制的に担保されるのだから対策は自由でよいではないか、という議論が勝った。しかしパリ協定は、肝心な目標が各国の自主性に委ねられているのである。であれば、対策に関する国際合意を強めよう、となることは自然の流れである。ちなみに2002年の南アフリカ・ヨハネスブルグでの地球サミットでも、そうした対策の自主的コミットメントを束ねる試みが行われたが、良い方向と思う。日本もデファクトスタンダードを狙い、国際ルールの底上げをして競争力を確保すべきだろう。

エネルギー依存から、頭脳や膨大な情報・データ活用へ

 COP26を機に、いよいよパリ協定の実行が始まった。環境をよくしつつ経済的な利益も確保する知恵の出し時である。いわば、世界規模の環境経済政策競争の開始である。そこに焦点を合わせ、日本経済研究センターから「カーボンニュートラルの経済学」を出版した(筆者は著者の1人)。

 方法的な面での肝は、脱炭素の投入産出関係を詳細に推定した上で脱炭素化のマクロ経済の姿を描いたことである。既に観測されている投入産出の関係は、特に、再生可能エネルギー関係のビジネスなどのような勃興期のビジネスに関してはその投入や産出、さらには利益などを十分に描き切ったものではない。このような投入産出関係をそのままに、単に化石燃料だけについて価格を上げたり数量制限を掛けてみたりすると、マクロ経済は、今よりも小さい規模で需給均衡する予測しか出てこなくなってしまう。私が、環境省の現役担当官であった頃に、自動車の排ガス規制による価格上昇がマクロ経済に与える影響を予測したレポートが出されたが、その内容は経済が大いに縮小するとの予測だった。しかし実際は、排ガス規制をクリアーできた日本の自動車業界は世界商品を手に入れ、その後の、経済の牽引車になったのである。


図

2021年11月に日経BP社より出版

 日本経済研究センターが予測した未来の投入産出関係を組み込むと、それと整合するマクロ経済の発展過程では、デジタル・トラスフォーメーション(DX)を脱炭素が加速化し、経済の生産性が高まっていくとの予想になる。言い換えれば、日本が没落を避けて成長できる道があることが示されたのである。脱炭素は、国難ではない。安価なエネルギーに依存した物づくりから、頭脳や膨大な情報・データを活かして進める「モノ作り・コト作り」への転換を下支えする弾み車が脱炭素であって、むしろオポチュニティ(機会)なのである。

環境対応のマニュアルも作成

 2021年は、私にとって書籍が豊産の年になった。3冊目として掉尾を飾ったのは、木楽舎から12月13日に発売になった「Green Business-環境をよくして稼ぐ。その発想とスキル」である。

 前述の、「カーボンニュートラルの経済学」が描いたプロミシングなマクロの絵姿・生態系を実現するのは、多種多様な生きとし生けるもの、ならぬ会社や家庭である。新しい、プロミシングな生態系に個別主体がよりよく適応してこそその主体は繁栄できるし、生態系も健康・強靭になれる。この、マクロとミクロのウィン・ウィンな関係づくりをミクロの側から説いたマニュアルがこの「Green Business」である。

図

2021年12月に木楽社から出版

非効率生産設備の温存が現実

 けれども、未来の産業エコシステムの良い一部を企業が担う道は、この日本では、どうやらとても険しいようだ。

 11月下旬に早稲田大学・政治経済学術院の有村俊秀教授が主宰するカーボンプライシング(炭素排出への価格付け、代表例は炭素税)の遠隔シンポジウムに参加した。炭素税などを実装することを巡って社会的に論点になる事項を探り、学者の果たせる役割を論ずるのが狙いだ。

 私は、炭素税を実装していく場合の障害の軽減策や、炭素税の利点を増やす算段について提案した。例えば、既存のエネルギー課税を炭素税化することで増税への嫌悪感を避けられることができるし、その税収使途を一般財源化することにより、環境以外の社会公益、例えば、福祉や雇用の実現に貢献できることなどである(提案の中身は、前述の「カーボンニュートラルの経済学」にあるとおり)。

 理論的な研究からは炭素税などのカーボンプライシングの利点は明々白々だ。しかし、現実の極めて安価な炭素価格の下でも経済合理的でないほどに、非効率な既存生産設備が温存されてきたのが今の日本の現実なのである。日本の生産設備の全体を模したモデルを作り、様々な炭素価格の想定の下での経済合理的な設備更新をシミュレーションする機能を持つ、「AIMモデル」を開発した国立環境研究所の故・森田恒幸氏の研究を20年ほど前に横で見ていて感じた私の感想である。そうした不合理な危険回避の姿勢は、脱炭素の時代になっても変わらない。例えば、22年度の税制改正に向けた与党税調の取りまとめを見ても、経済界はカーボンプライシングへ小田原評定を続ける意向であることが見て取れる。

サラリーマンではなく、経営者として判断を

 日本の会社は、合理的なことであっても新しい方針決定には臆病極まりない。
 それではいけない、と改めて筆者が思ったのは、ようやく日本公開がなった映画「MINAMATA」を見たからである。

 ジョニー・デップが写真家のユージン・スミスを演じたこの作品は、現実とフィクションをうまいこと混ぜて、わくわくと見られる映画に仕上がっている。

図

映画宣伝のポスターより転載

 その虚実皮膜ぶりは、例えば映画冒頭で、白黒写真しか撮らないスミス氏がカラーフィルムのCMに出演する出だしの下りは、観客の笑いを誘ったが、それゆえフィクションに違いないと思った。ところが同氏が当時の富士写真フイルムのテレビCMに出演する話は、なんと実話で、11月いっぱい六本木の同社のギャラリーで開かれていたスミス展の特別出品で本物の放映コマーシャルを見て、確認できた。脚色が加えられていた所で言えば、スミス氏などがチッソの病院に潜入して、有名なネコへの工場排水暴露実験の証拠を入手する007ばりの活躍などがあるし、有機水銀を環境中に排出していたチッソの当時の社長が、スミス氏の口封じ(カメラ封じ)のために説得を試み、汚染物質はたかだかppm(百万分の1)のオーダーだと言う実際のくだりが、スミス氏買収の文脈の中で登場するなど、分かりやすくするデフォルメが施されている。

 この映画は、単純な勧善懲悪の作品ではなかった。チッソの経営者は、汚染を知りつつ排出を続けるものの、水俣病患者を活写したスミス氏の写真がライフ誌に載ると、もはや隠蔽は不可能と判断し、患者の補償を部下に命ずるのである。それは苦渋というより、遅かったとはいえようやく正しい判断を口に出せた安堵感を観客に共感させる良い演技であった(ここもデフォルメ部分で、写真の力が琴線に触れたことを示すプロットであろう(ちなみにチッソ社長は熊本県八代市生まれの國村隼氏が演じた))。

 私は「この映画を今日の経営者の人にこそ見てもらいたい」と思った。経営者の判断の大切さを示しているからである。環境のような新たな課題へは真摯に向き合わないで時間稼ぎして経営判断を避けるのでは、そつのない“サラリーマン”でありえても、経営者ではない。これは過去の話ではない。経営者の能力が脱炭素で、今まさに問われている。そこで、私は質したい。「変えない」というのは、本当にあなたの判断なのですか?何が根拠なのですか?と。

「2050年脱炭素社会実現への道 ―DX、カーボンプライシングを成長に結びつけるには」と題したシンポジウムを2022年1月12日に開催します。筆者もパネリストとして参加予定です。